社会主義は科学である。各国で社会主義は挫折してしまったが、科学としての社会主義は依然として人民の心のなかに生きている。帝国主義者と反動は、社会主義建設をおこなっていた一部の国で起きた事態を指して、「社会主義の終末」について騒ぎたてている。社会主義の背信者たちは社会主義の理念自体が誤っていたとしながら、自己の醜悪な背信行為を弁護しようとしている。しかし、真理は覆い隠せるものではなく、抹殺できるものでもない。各国で社会主義が崩壊したのは、科学としての社会主義の失敗ではなく、社会主義を変質させた日和見主義の破綻を意味する。社会主義は日和見主義によって一時的に胸の痛む曲折を経てはいるが、その科学性、真理性によってかならず再生し、最終的勝利を達成するであろう。
1
社会主義は自主性のためにたたかう民衆の理念であり、革命的旗じるしである。民衆の自主性は社会主義・共産主義によって実現される。民衆は敵対的階級社会において、自主性を無慈悲に蹂躪されてきた。抑圧のあるところには抵抗があり、抵抗のあるところには革命が起こるものである。民衆は長い歴史的期間、自主性を実現するために力強くたたかいつづけ、その過程で階級社会の交代がおこなわれ、自主性のための民衆のたたかいが発展してきた。しかし、敵対的階級社会の交代は、民衆の自主性を抑圧する形態上の変化をもたらしただけで、民衆は社会的政治的従属から解放されなかった。
敵対的階級社会で民衆の自主性が実現されなかったのは、それがすべて個人主義に基づいた社会であったからである。個人主義は私的所有制度の産物である。私的所有と、それによって生みだされる個人主義に基づく社会はかならず、社会を敵対する階級に分裂させ、階級対立と社会的不平等をもたらし、民衆にたいする少数支配階級の搾取と抑圧をともなう。歴史は、個人主義に基づく社会では民衆の自主性が実現できないということを示している。民衆の自主性を実現するには、個人主義に基づく社会から集団主義に基づく社会、社会主義・共産主義に移行しなければならないということが人類社会発展の歴史的総括である。
資本主義は個人主義をごく少数の資本家の限りない欲望に転換させ、個人主義に基づく社会の敵対的矛盾をその極に至らしめた。一方、自主性のための民衆のたたかいは新たな発展段階にはいった。現時代は民衆が自己の運命の主人、世界を支配する主人として登場した自主性の時代である。これは、個人主義に基づく社会が集団主義に基づく社会へ移行することが歴史発展の必然的要求になっていることを示している。
集団主義は人間本来の要求である。人間は社会的集団をなして活動してこそ、生存し発展できる。人間は個別的にではなく、社会構成員の集団的協力によってのみ自然と社会を改造でき、自主的要求を実現できる。人間が社会的集団をなして生きていくには、集団の自主的要求と個人の自主的要求を実現していかなければならない。集団の自主的要求は、社会的集団の生存と発展のための社会構成員の共同の要求である。個人の自主的要求は社会的集団の平等な構成員としてもつ要求であり、社会的集団のために貢献することによって、集団によって当然保障される要求である。個人の自主的要求は、集団を無視し、すべてを個人の利益に服従させる個人主義的欲望とは根本的に区別される。集団の自主的要求と個人の自主的要求は、集団主義を通じてのみもっともりっぱに実現される。集団主義をはなれた個人の要求は個人主義的欲望に転換され、そうなれば集団の他の構成員の自主的要求を侵害するようになり、集団の団結と協力を阻害するようになる。集団主義だけが集団の団結と協力を強化し、集団の全構成員の創造的熱意を高め、集団の自主的要求と個人の自主的要求を正しく結合させ、ともに円滑に実現していけるようにする。社会的集団をなし活動することが人間の生存方式であり、人間の自主的要求が集団主義を通じてのみりっぱに実現できるだけに、集団主義に基づく社会、社会主義・共産主義社会が人間の自主的本性に合致するもっとも先進的な社会である。
もちろん、社会主義制度が樹立されるからといって、すぐに社会生活のすべての分野で集団主義的原則が全面的に具現されるわけではない。それは、社会主義社会には古い社会からうけついだ遺物が一定の歴史的期間、残ることと関連する。社会主義社会に古い社会の遺物が残っているのは過渡的現象であり、社会主義が発展するにしたがい、それは漸次克服され、社会生活のすべての分野で集団主義的原則がより全面的に具現されることになる。
社会主義は歴史発展の必然的段階であり、社会主義社会は人間の自主的本性に合致するもっとも先進的な社会であるが、それはけっして自然に実現されるものではない。社会主義が実現されるためには、それを担当して遂行できる革命力量が準備されなければならず、正しい闘争方法が備わらなければならない。革命力量が準備されず、正しい闘争方法が備わらないときには、社会主義を志向する民衆の自主的要求が単なる念願として残るだけである。
搾取と抑圧、社会的不平等とその基礎にある私的所有をなくし、社会的所有に基づく平等な社会を建てるための思想は、早くから空想的社会主義者たちによって提起された。しかし、空想的社会主義者たちは、被搾取勤労大衆の哀れな立場に同情しながらも、彼らを搾取社会を埋葬し、新社会を建設できる革命力量としてみることができなかった。空想的社会主義者たちは人間を啓蒙するとともに、搾取階級の「善意」に訴えることで、資本主義社会の不合理な点を根本的に直せると認めた。欲望を階級的本性とする搾取階級に「善意」を期待するのは非科学的な幻想である。空想的社会主義者たちが搾取階級に「善意」を期待したのは、彼らの歴史的な制約性であった。
搾取階級とその手先は「階級協調論」を掲げ、搾取と抑圧に反対する被搾取勤労大衆のたたかいを妨げようと策動した。共産主義運動内部では改良主義者、修正主義者たちが「階級協調」を主張しながら、革命運動発展に大きな害毒をおよぼした。今日、社会主義の背信者たちも資本主義にたいし幻想を抱き、帝国主義者たちの「援助」と「協力」に期待をかけながら、資本主義復活策動をくりひろげている。歴史は搾取階級の「善意」や「階級協調」に期待をかけるのは、革命をだいなしにする道だということを示している。
社会主義を志向する勤労民衆の要求を、革命力量と革命的な闘争方法に結合させたのはマルクス主義である。マルクス主義は、資本主義社会では生産力と生産関係のあいだに矛盾が存在し、この矛盾が搾取階級に反対する被搾取勤労大衆の階級闘争を通じて解決され、この階級闘争を担い導く階級が労働者階級であることを明らかにした。マルクス主義によって、資本主義の滅亡と社会主義の勝利の必然性が明らかになり、社会主義を志向する被搾取勤労大衆の念願が、それを実現可能にする現実的な革命力量、革命的な闘争方法と結合することによって、社会主義は空想から科学へと転換され、人類解放闘争史において革命的転換が起きるようになった。
しかし、唯物史観に基づく先行の社会主義学説は歴史的制約性を免れなかった。先行理論は社会歴史的運動をその主体である民衆の主動的作用と役割によって発生し発展する主体の運動とみるのではなく、主に物質的経済的要因によって変化発展する自然史的過程とみなした。唯物史観の原理にしたがえば、資本主義社会で生産力が発展すればするほど、生産力と生産関係のあいだの相いれない矛盾、搾取階級と被搾取階級のあいだの敵対的矛盾が激化し、労働者階級をはじめとする革命力量が成長し強化され、したがって革命がより以上に成熟していくことになる。社会主義に関する先行理論は、革命闘争において物質的経済的要因を基本におくことによって、革命の主体を強化し、その役割を高めることを革命の根本方途として提起することができなかった。
資本主義社会において生産力の発展がおよぼす影響について述べるならば、それも一面的にみるべきではない。資本主義社会での生産力の発展は、「富益富、貧益貧」の両極分化を深め、階級的矛盾を激化させるとともに、独占資本家たちが独占的高率利潤の一部を階級的矛盾をやわらげるために利用する可能性も増大させる。また生産力の発展は、農民をはじめとする小ブルジョア階級を分化させ、産業労働者階級の隊列を拡大するとともに、生産部門での精神労働と技術労働に従事する勤労者と、非生産部門で働く勤労者の比重を高める結果ももたらす。
革命闘争において客観的条件が重要な作用をするのはいうまでもない。しかし、革命の勝敗を左右する決定的要因は客観的条件にあるのではなく、革命の主体をいかに強化しその役割を高めるかというところにある。資本主義が発展した国であれ、そうでない国であれ、革命の主体を強化し、その役割を高める活動をうまくおこなうならば、社会主義の勝利を達成できるのである。歴史的現実は、資本主義が発展した諸国ではなく、相対的にたちおくれた諸国で社会主義がまず勝利したことを示している。チュチェ思想の旗じるしのもとに前進してきた朝鮮革命の経験は、革命の主体を強化し、その役割を高めれば、与えられた客観的条件を正しく利用できるだけでなく、不利な客観的条件も有利に変え、逆境を順境に、禍を福に転換させ革命の勝利を保障することができるということを立証している。
唯物史観に基づく先行理論の制約性は、社会主義制度樹立後の社会主義建設においていっそうはっきりあらわれた。
一般的に社会が発展すればするほど、社会的運動の主体である民衆の役割はいっそう高まるものである。それは、社会が発展するにしたがい、民衆の自主意識と創造的能力が高まることと関連する。社会的運動の主体としての民衆の役割は社会主義社会ではたとえようもなく高まる。社会主義社会は高い思想意識で武装し、一つに統一団結した民衆の創造力によって発展する社会である。社会主義社会では人間改造、思想改造が社会主義の物質的経済的条件を整える事業よりもさらに重要で優先的な課題となり、人間改造を優先させてこそ革命の主体を強化し、その役割を高め、社会主義を成功裏に建設することができる。社会主義社会において客観的な物質的経済的条件に決定的意義を付与し、経済建設だけにとらわれながら民衆の思想改造を二次的にみて、革命の主体を強化しその役割を高める活動を怠るならば、社会主義建設全般を正しく進めることはできず、経済建設自体も沈滞を免れなくなる。以前、社会主義を建設した一部の国でこのような現象が少なからず現れ、社会主義の背信者たちはそれに乗じて「改革」騒動をくりひろげながら、社会主義経済制度自体を崩そうと反革命的行為をおこなった。
かつてマルクス主義創始者たちが物質的経済的条件を第一に考えて社会主義学説を展開したのは、神秘主義と宿命論を主張しながら資本主義を神聖化し、その「永遠性」を説教するブルジョア反動理論を打破することが主要な歴史的課題として提起された事情と関連する。しかし今日、社会主義の背信者たちは資本主義にたいして幻想を抱き、それをよみがえらせるために物質至上主義、経済万能主義を提唱したのである。
社会主義を新たな科学的土台のうえに引き上げることは、先行した社会主義学説の歴史的制約性を克服するためだけでなく、あらゆる日和見主義者の歪曲と帝国主義者の攻撃から社会主義を固守するためにも切迫した課題として提起された。
社会主義を新たな科学的土台のうえに引き上げる歴史的課題は、キムイルソン主席がチュチェ思想を創始し、それに基づいて社会主義理論を独創的に展開することによって輝かしく解決された。キムイルソン主席は人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定するという哲学的原理を発見し、主体の運動としての社会的運動の合法則性を新たに解明することにより、社会主義を新たな科学的土台のうえに引き上げた。チュチェ思想によって明らかにされた社会主義・共産主義偉業は民衆の自主性を完全に実現するための民衆の自主偉業である。キムイルソン主席によって科学的に体系化された社会主義は、人間本位の社会主義、民衆中心の社会主義である。朝鮮の社会主義は民衆があらゆるものの主人となり、すべてが民衆に服務し、民衆の団結した力によって発展する社会主義である。チュチェの社会主義理論は、人間を中心に社会主義の本質とその発展の合法則性を科学的に解明したのに基づき、社会主義を成功裏に建設するためには社会主義・共産主義の二つの要塞、思想的要塞と物質的要塞を占領するためのたたかいを力強くくりひろげ、ここで思想的要塞を占領するためのたたかいを確固と優先させなければならないことを明らかにした。
チュチェの社会主義理論の科学性、真理性は朝鮮革命の実践的経験によって実証された。朝鮮人民は植民地半封建社会のたちおくれた状況から社会主義を目指すたたかいを展開しはじめ、他とは比べようもなく困難な条件下で革命と建設を遂行しなければならなかった。しかし、朝鮮労働党はチュチェ思想の要求どおりに、つねに民衆を党と領袖のまわりに組織思想的に固く結集して革命の主体を強化し、その役割を高める活動を基本的要としていくことによって、社会主義の道を輝かしく開拓することができた。朝鮮労働党は社会主義建設において人間改造、思想改造をすべての活動に確固と優先させ、朝鮮革命の政治思想的威力をあらゆる面で強化しながら、自立的民族経済と自衛的軍事力を強化することによって、今日の複雑な情勢下においても揺らぐことなく革命と建設を力強くおし進めている。実践的経験はチュチェ思想を具現した朝鮮の社会主義が、もっとも科学的で生活力ある社会主義であることをはっきりと示している。
2
朝鮮の社会主義は人間にたいする主体的観点と立場に基づいている。
人間にたいする観点と立場にたいする問題は社会発展、革命発展にどのような観点と立場でたいし、どのように理解するかという点での基礎的問題である。人間にたいする観点と立場は思想と理論、路線と政策の科学性と正当性を規定する基準となる。人間にたいするもっとも正確な主体的観点と立場に基づいているところに、朝鮮の社会主義の科学性、真理性がある。
チュチェ思想は歴史上はじめて、人間の本質について科学的な解明を与えた。
人間の本質をどのようにみるのかということは単純な学術上の問題ではなく、階級的利害関係を反映した社会政治的問題である。歴史的に人間の本質の問題に関して、進歩と反動のあいだに深刻な哲学的論争がくりひろげられてきた。
反動的支配階級とその代弁者たちは、人間の本質を搾取階級の利害関係にあわせて歪曲し、搾取社会を合理化するのに利用した。かつて人間の本質に関する哲学的論争においては、おもに人間を精神的な存在とみなす見解と物質的な存在とみなす見解が両立していた。人間を純粋に精神的存在とみなす宗教的、観念論的見解にしたがえば、人間は何らかの超自然的で神秘な存在の産物であり、人間の運命もそれによって決定されることになる。反動的支配階級とその代弁者たちは、人間にたいする宗教的、観念論的見解をもって、勤労民衆が搾取され抑圧される不幸な境遇は避けることのできない宿命的なものであり、したがって与えられた運命に服従しなければならないと説教した。人間を単なる自然的、生物学的存在とみなす見解は、意識の調節統制のもとで目的意識的に活動する人間と、本能によって支配される生物学的存在との質的な差を区別できなくする。反動的支配階級とその代弁者たちは、このような見解を弱肉強食の法則が支配する資本主義社会を弁護するのに利用した。社会主義の背信者たちがブルジョア自由化と資本主義市場経済をひきいれ資本主義を復活させるのも、人間にたいする反動的な観点と立場に根ざしているのである。
人間は純然たる精神的存在でもなければ、単なる生物学的存在でもない。人間は社会的関係を結びながら生き活動する社会的存在である。社会的存在であるところに、他の生物学的存在と区別される人間の重要な特性がある。
マルクス主義は人間の本質を社会関係の総体と規定した。マルクス主義が人間の本質を社会関係の総体と規定したことは、人間を純粋に精神的存在とみたり、単純な生物学的存在とみる非科学的、反動的見解を打破するうえで歴史的な貢献となった。しかし、人間の本質を社会関係の総体と規定したことは、人間自体がもつ本質的特性に関する全面的解明にはならず、それだけでは人間と世界との関係、世界で占める人間の地位と役割を正しく解明することはできない。
チュチェ思想ははじめて、人間自体の本質的特性を科学的に解明し、それに基づいて人間が世界で占める地位と役割を新たに明らかにした。
以前にも人間自体のもつ特性を基本にして人間の本質を解明しようとする試みは少なくなかった。人間を話す存在、労働する存在、思惟する存在というように規定しようとしたことを実例としてあげることができる。しかしこれらはすべて、人間の本質的属性の発現となるその活動の一定の側面をもって論じたものであった。
人間は自主性、創造性、意識性をもつ社会的存在である。自主性、創造性、意識性をもつ社会的存在であるところに人間の本質的特性がある。
自主性は世界と自己の運命の主人として、いかなるものにも従属したり束縛されず、自主的に生き発展しようとする社会的人間の属性である。創造性は自己の要求にあわせて目的意識的に世界を改造し、自己の運命を開拓していく社会的人間の属性である。意識性は世界と自分自身を把握し、改造するためのすべての活動を規制する社会的人間の属性である。自主性と創造性は意識性によって保障される。人間は意識をもって自主的で創造的な活動をおこなうという点で、本能に基づいて動く動物と質的に区別される。人間が活動する過程は、人間の自主性、創造性、意識性が発揮される過程であり、自主的で創造的で意識的な活動は人間の存在方式である。
人間が自主性、創造性、意識性をもつ社会的存在であるということは、発達した有機体、とくにもっとも発達した脳髄をもっていることときりはなしては考えられない。人間の発達した有機体は自主性、創造性、意識性をもちうる生物学的基礎となる。しかし、それ自体が自主性、創造性、意識性を生むのではない。人間の自主性、創造性、意識性は、人間が社会的関係を結び活動する社会歴史的過程において形成され発展する社会的属性である。
人間は自主性、創造性、意識性をもつことにより、みずからの運命をみずからの力で開拓していくことができるのである。生物学的存在において、その運命は客観的生活環境にどう順応するかに左右される。生物学的存在は客観的生活環境によってその運命が決定される、自然の一部分であるとみなすことができる。これとは違い、人間は客観世界をみずからの要求にあわせて改造し、みずからの運命をみずからの力で開拓する世界の主人、世界の改造者である。人間の自主性、創造性、意識性が発展すればするほど、世界の主人、世界の改造者としての人間の地位と役割は高まり、それは人間による自然と社会の改造において表現される。人間の自主的思想意識と創造的能力が発展してその役割が高まるにつれ、社会的富が増え、社会関係が改善されていく。歴史が発展するうえで、すべての世代は先行した世代が創造した社会的富と社会関係、すなわち与えられた客観的条件のもとから出発し、それらを利用する。社会発展においてこういった客観的条件は重要な作用をするが、その客観的条件自体が人間の自主的、創造的、意識的活動の歴史的創造物であり、それらを利用しながらより発展させるのも人間である。与えられた客観的条件が有利であっても、それを利用し、発展させる人間の自主性、創造性、意識性が低く、十分に発揮されることがないとすれば社会はすみやかに発展することはできず、客観的条件が不利であっても、人間の自主性、創造性、意識性が高く、正しく発揮されるならば、社会はすみやかに発展する。これは社会発展の歴史的行程が、人間の自主性、創造性、意識性の発展水準とその発揮程度によって決定されるということを物語っている。被搾取勤労大衆は早くから搾取と抑圧のない平等な社会を望んだが、過去においてそれが実現されなかったのも、勤労大衆の自主的思想意識と創造的能力が発展せず、その役割が低い水準にあったことと関連する。自然と社会を改造して歴史を前進させるのは人間であり、人間の自主的思想意識と創造的能力がすみやかに発展し、その役割が高ければ高いほど社会歴史発展が促進され、革命と建設が成功裏に推進されるのである。社会発展の歴史は結局、人間の自主性、創造性、意識性の発展の歴史だといえる。
人間は自主的、創造的、意識的な存在であることによって、もっとも高貴で有力な存在となる。人間は、世界の唯一の主人であり、唯一の改造者である。世界には人間よりも高貴な存在はなく、人間よりも力のある存在もない。
しかしブルジョア反動たちは人間をもっとも高貴な存在としてみるのではなく、物質的生産のための一つの手段として、商品として売買される、労働力を所有したたわいない存在とみなしている。彼らはまた、人間をみずからの力で運命を開拓する有力な存在としてではなく、黄金に支配される無気力な存在とみなしている。社会主義の背信者たちが資本主義を復活させ、失業と貧困を競争意欲と労働の強度を高めるための圧力手段とみて、社会主義がきずいたすべての人民的施策をなくしてしまうのも、自国民の力を信じず西側資本主義諸国の「援助」と「協力」に期待をかけて帝国主義者たちにへつらい屈従しているのも、人間にたいする反動的なブルジョア的観点と関連している。
人間本位の社会主義は、人間を中心に社会歴史発展の合法則性を新たに科学的に明らかにしたチュチェの社会歴史的原理に基づいている。人間本位の社会主義は人間にたいする主体的観点と立場から出発し、すべてのものが人間のために服務し、すべての問題を人間の創造的役割を高め解決していくもっとも科学的な社会主義である。朝鮮の社会主義は人間の自主性を徹底して擁護、保障し、人間の思想意識と創造的能力をすみやかに高めて積極的に発揮させることにより、世界の主人、世界の改造者としての人間の地位と役割を強化して、革命と建設を力強くおし進めていけるようにする。
チュチェ思想は、人間の生命の本質と生の価値についても新たに解明した。
人間を一つの生命有機体としてみるとき、人間の生命とはすなわち肉体的生命を意味する。しかし、人間は肉体的生命だけをもって生きる存在ではない。チュチェ思想は歴史上はじめて、人間は肉体的生命とともに社会的政治的生命をもって生きる存在であることを明らかにした。肉体的生命が生命有機体としての人間の生命であるとするなら、社会的政治的生命は社会的存在としての人間の生命である。社会的政治的生命は、社会的存在である人間固有の生命である。
人間にとって肉体的生命は貴重である。人間は肉体的生命があってこそ、社会的政治的生命ももつことができる。そうした意味で、肉体的生命の要求を実現する物質生活は、人間の一次的な要求を実現する生活であるといえる。人間は単なる生物学的存在とは異なる社会的存在であるだけに、人間の自主性、創造性、意識性が発展し、社会が発展するにつれて物質生活にたいする人間の要求はたえず高まり、それは社会的政治的生命にも影響をおよぼす。安定した健全な物質生活は、人間の肉体的生命の要求を満たすだけでなく、社会的政治的生命を維持し、輝かせるための物質的保証となる。
人間にとって肉体的生命も貴重であるが、より貴重なのは社会的政治的生命である。肉体的生命より社会的政治的生命を重視するのは、社会的存在である人間の本性的要求である。社会的政治的生命の要求をはなれ肉体的生命の要求だけを追求するなら、いくら満ちたりた物質生活を送っていても、それはけっして価値ある生活とはなりえず、そういった物質的生活は人間の本性とは相いれない動物的な生活と変わらない変態的な生活に落ちぶれてしまう。
人間にとって自主性は生命である。人間は自主的な社会的存在として、何ものにも従属、束縛されることなく自主的に生きることを求める。人間が自主的に生きるということは、世界の主人、みずからの運命の主人としての地位を守り、権利を行使しながら生きることを意味する。人間は、社会的存在として自主的権利をもって、自主的要求を実現しながら生きてこそ、社会的政治的生命をもって尊厳ある生き方をしているといえる。人間が自主性を失って他者に従属するならば、生きてはいても社会政治的には死んでいるのと同じである。自主的に生きようとする人間の要求は、何よりも自主的な政治生活を通じて実現される。人間が社会的政治的に従属していれば、いかなる自主的な生活も営むことができない。
人間にとってもっとも貴重な生命が社会的政治的生命であるだけに、人間の価値ある生とは社会的政治的生命をもち、それを輝かせて生きることである。人間は社会的政治的生命を社会的集団から与えられる。社会的集団は人間の社会的政治的生命の母体である。そのため、人間の生が価値あるものであるか否かは、人間が社会的集団とどのように結合するかにかかっている。人間の生は社会的集団から愛と信頼をうければ価値あるものとなり、社会的集団から見捨てられれば価値を失う。人間は個人の利益より社会的集団の利益をより重視し、社会的集団のために忠実に服務するとき、社会的集団の愛と信頼をうけることができる。結局、人間のもっとも価値あり生きがいのある一生とは、みずからの運命を社会的集団の運命と結合させ、社会的集団のために献身的に服務しながら、社会的集団の愛と信頼のなかで自主的で創造的な生活を送ることである。これこそが、人間が社会的政治的生命を輝かせて生きる道であり、社会的存在として人間らしく生きる道である。
こんにち、ブルジョア反動と社会主義の背信者たちが、人間による人間の搾取と支配を正常な現象と認め、人間を個人の物質的欲望だけを追求する低俗な存在とみなしている事実は、人間の生命の本質と生の価値にたいするブルジョア的観点と立場の反動性のあらわれである。
すべての人々がもっとも貴重な社会的政治的生命を輝かせ、肉体的生命の要求をも充足させることができる真の人間の生活は、集団主義に基づく社会主義社会でのみりっぱに実現される。社会主義社会では人間があらゆる搾取と抑圧、支配と従属から解放され、社会政治生活をはじめとするすべての分野で自主的で創造的な生活を送ることができる。社会主義社会で人々が社会の主人としての高い自覚と能力をもち、自主的で創造的な生活を送ろうとするならば、彼らの組織思想生活と文化生活を正しく組織しなければならない。人間は革命的な組織思想生活と健全で満ちたりた文化生活を通じて自主的な思想意識でしっかりと武装し、全面的に発展した創造的能力を備えてこそ、社会と集団のために積極的に奉仕することができ、社会と集団の堂々たる一員として価値ある生活を送ることができる。
朝鮮の社会主義は人間をもっとも大切にし、人間本来の要求をりっぱに具現することによって、すべての人々がいつまでも社会的政治的生命を保ち輝かせることを可能ならしめ、彼らの肉体的生命の要求を十分に保障する真の人間中心の社会主義である。人間本位の社会主義は、社会の全構成員が高い思想意識と創造的能力をもって社会と集団のために献身的にたたかいながら、社会と集団の愛と信頼のなかでともに幸せに暮らし、誉れ高く生きがいに満ちた生活を心ゆくまで享受できるようにする。
3
朝鮮の社会主義は民衆にたいする主体的観点と立場に基づいている。
社会主義の真理性と優越性は、それにたいする民衆の支持と信頼にあらわれる。朝鮮の社会主義は民衆にたいする主体的観点と立場に基づいているため、民衆の絶対的な支持と信頼をえるもっとも優れた威力ある社会主義だといえる。
民衆は歴史の主体である。民衆とは勤労する人々を基本とし、自主的要求と創造的活動の共通性により結合した社会的集団である。
民衆という言葉は階級社会では階級的性格をおびる。搾取社会では、生産手段と国家主権を握っているかどうかによって、社会が搾取階級と被搾取階級、支配階級と被支配階級にわかれ、被搾取階級と被支配階級が民衆の基本構成単位となる。民衆の階級的構成は固定不変なものではなく、社会歴史発展の過程で変化する。資本主義社会では労働者、農民だけでなく、勤労する知識人をはじめ自主性を擁護してたたかうあらゆる階級と階層が民衆を構成する。社会主義社会ではすべての人々が社会主義的勤労者となり、各界各層の人々がすべて民衆の一員となる。もちろん、社会主義社会においても少数の敵対分子の蠢動がつづき、革命隊列のなかから背信者がでることもある。そのため社会主義社会においても、民衆とそれに敵対する要素をはっきりと見分けなければならない。
民衆という言葉は社会階級的関係を反映するが、それは純粋な階級的概念ではない。元来、民衆は多様な階級と階層からなる。民衆の一員であるかそうでないかを区別するためには、社会階級的立場をみなければならないが、それを絶対化してはならない。人間の思想と行動は、社会階級的立場の影響だけをうけるものではない。人間は革命的影響をうけ先進思想を体得すれば、社会階級的立場がどうであれ、民衆のために服務することができる。民衆の一員であるかそうでないかを区別する基本尺度は、どのような社会階級的土台をもっているかではなく、どのような思想をもっているのかということである。各界各層の人々を民衆として結合させる思想的基礎は、社会主義・共産主義思想にかぎられるものではない。祖国と人民、民族を愛する愛国、愛民、愛族の思想をもてば、だれもが人民のために服務することができ、したがって民衆の一員となることができる。
キムイルソン主席はこのような立場から革命の各段階で、祖国と人民、民族のために服務しようとの思想をもったすべての人々を一つの革命力量としてしっかりとまとめ、革命と建設を成功裏に遂行してきた。朝鮮労働党は革命に利害関係をもつ多様な階級と階層の人々を革命の一時的な同伴者としてではなく永遠の同行者として信頼し、社会主義・共産主義の道へ導いている。
帝国主義者と反動は、その階級的本性からして民衆と対立しており、そのため人民という言葉自体を恐れている。帝国主義者と反動はもっぱら「国民」という言葉を使い、資本主義社会の階級的対立と矛盾を覆い隠そうとする。社会主義の背信者たちも「公民社会」の建設を云々しながら、「公民」という言葉でみずからの反人民的策動を隠そうとする。もちろん、反動や背信者たちが偽善的に「人民」という言葉を使うこともしばしばみられる。しかし、人民を敵視し、人民に背く者たちが「人民」という言葉を使ったとしても、その反人民的本質を隠すことはできない。人民、それは人民に忠実な人々、民衆のためにすべてを捧げてたたかう共産主義者だけが堂々と使うことのできる神聖な言葉である。
キムイルソン主席は早くから人民を天のごとくみなし、国号や軍隊の名、記念碑的建造物の名称など、高貴で美しい多くのものを人民という言葉と結びつけて呼ぶようにした。人民をこれほど貴重な存在としておしたてているがゆえに、朝鮮の社会主義は民衆中心の社会主義、人民の自主的要求を徹底して具現したもっとも優れた社会主義となるのである。
民衆は社会のあらゆるものの主人である。民衆が社会のあらゆるものの主人となるのは、社会のあらゆるものが民衆によって創造されるからである。
民衆は自然と社会を改造するもっとも有力な創造的能力の所有者である。個別の人間の力と知恵には限界があるが、民衆の力と知恵に限界はない。この世に全知全能の存在があるとすれば、それは他ならぬ民衆である。民衆の無限の力と知恵によって社会のすべてのものが創造され、歴史が前進し革命がおし進められる。
民衆は自然を改造し、生産力を発展させ物質的富をつくりだす。もちろん、資本家階級もより多くの利潤を得るために生産力を発展させることに関心をもつが、資本家たちは自分の手で物質的富をつくりだしはしない。民衆は思想文化的財産を創造する。民衆は直接、思想文化的財産を創造するだけでなく、先進的な思想家、優秀な科学者、才能ある文学芸術家を生みだす。搾取階級もみずからの思想文化の代弁者をおしたてるが、かれらがつくりだす思想文化は社会の健全な生活と発展を阻害する。民衆は社会を改造する。反動的搾取階級は社会の改造ではなく、古い搾取制度を維持し、強化することにのみ利害関係をもつ。ブルジョア統治者たちがくりひろげる「改革」騒動は、あくまでも資本主義の危機から逃れるためのものである。社会の進歩的な改造は、自覚し団結した民衆によってのみ遂行される。社会のすべてが民衆によって創造されるだけに、民衆は当然そのすべての主人とならなければならない。民衆は国家主権と生産手段が人民のものとなる社会主義社会でのみ、社会のあらゆるものの真の主人となる。
民衆は社会のあらゆるものの主人であるがゆえに、主人としての地位を占め、その権利を行使し、主人としての責任と役割を果たし、主人としての誉れ高い幸福な生活を享受しなくてはならない。
民衆は社会のあらゆるものの主人として、主人の地位を占め権利を行使しなくてはならない。
主人の地位を占め権利を行使することは、民衆の自主的要求である。自主性は民衆の生命であり、自主的地位と権利は民衆の運命を左右する基本条件である。民衆は国家と社会の主人として、政治、経済、文化をはじめとする社会生活のあらゆる分野で主人としての地位を占め、権利を行使しなくてはならない。
民衆の自主性を徹底的に擁護し実現するためには、民衆の自主的要求を反映してすべての路線と政策を作成し、民衆の力に依拠してそれを実行しなければならない。
民衆の自主的要求は、路線と政策の正否を識別する基準である。革命と建設において主観主義を避け、紆余曲折を免れる唯一の道は、民衆のなかにはいり、大衆の意思と要求に耳を傾けることである。民衆はあらゆるものの教師である。民衆の自主的な意思と要求を集大成して体系化すれば、それは思想となり、路線と政策となるのである。労働者階級の党は、つねに路線と政策をうちだす際には民衆のなかにはいり、彼らの意思と要求に耳を傾けなくてはならない。活動家が活動をおこなう際にも、民衆の意思と要求に耳を傾けることを最初の工程としなくてはならない。朝鮮労働党が複雑でむずかしい環境のなかでももっとも優越した社会主義制度をうちたて、それをたえまなく輝かしてくることができたのは、民衆のなかにはいり、彼らの自主的要求を反映して路線と政策をうちだし、民衆の力に依拠してそれを徹底的に実行してきたからである。朝鮮の社会主義が、少しの偏向や曲折もなくもっとも科学的な道を勝利のうちに前進してきた秘訣がここにある。
民衆の自主性を擁護し実現するためには、国と民族の自主性を固守しなければならない。
政治における自主、経済における自立、国防における自衛を実現することは、朝鮮労働党が一貫して堅持している革命的原則である。朝鮮労働党と朝鮮人民は国と民族の自主性を大切に考え、帝国主義者と支配主義者の圧力のなかでも自主、自立、自衛の革命的原則を貫徹して国の自主権と尊厳を確固と守ってきたし、また今日も変わりなく自己の信念にしたがい社会主義の旗じるしを高く掲げて前進している。
現在、帝国主義者は横暴にも他国の内政に干渉し、他国人民の自主権を蹂躪しながら、それを「人権擁護」の口実のもとに正当化しようと策動している。人権は国と民族の自主権と切り離しては考えられない。外勢の支配をうける国の人民には、けっして人権は保障されない。人権は、政治、経済、思想文化をはじめとした社会生活のあらゆる分野で人民が行使すべき自主的権利である。帝国主義者のいう「人権」とは、金さえあれば何でもできる有産階級の特権である。帝国主義者は失業者の労働の権利、身寄りのない人や孤児の生活の権利などは人権として認めていない。勤労者に初歩的な生存の権利も与えず、反人民的政策と人種的民族的差別政策、植民地主義政策を実施する帝国主義者には人権について論ずる資格もない。人権の最大の敵は人民の自主権を蹂躪し、「人権擁護」の看板のもとに他国の内政に干渉する帝国主義者である。われわれは、朝鮮と朝鮮民族の自主権をみだりに侵害しようとする帝国主義者のいかなる干渉や専横もぜったいに許さないであろうし、国と民族の自主権を最後まで擁護していくであろう。
民衆は社会のあらゆるものの主人として、主人としての責任と役割を果たすべきである。
民衆は主人としての責任と役割を果たしてこそ、主人としての地位と権利を守ることができる。革命と建設は民衆のための事業であり、民衆自身の事業である。民衆は、革命と建設で提起されるすべての問題について自分自身が責任を負い、自分の力で解決していかなければならない。
民衆が社会のあらゆるものの主人としての責任と役割を果たすようにするためには、主人としての自覚を高めなくてはならず、そのためには思想改造、政治活動を優先させなくてはならない。思想改造、政治活動を全ての活動に優先させるのは、社会主義社会本来の要求である。民衆が国家と社会の主人となっている社会主義社会における社会発展の基本推進力は、自主的な思想意識で武装し党と領袖のまわりに固く結集した民衆の高い革命的熱意と創造的積極性である。思想改造、政治活動を優先させ、社会の全構成員を共産主義的に改造し、かれらの革命的熱意と創造的積極性を高めてこそ、革命と建設を力強くおし進め、社会主義の優越性を高く発揮させることができる。したがって、社会主義建設ではつねに思想改造、政治活動を優先させ、民衆を教育し、大衆の革命的熱意と創造的積極性を高める活動を基本にしていかなくてはならない。社会主義建設を推進するうえで思想改造、政治活動を優先させ、民衆の役割を高める方法以外に、他のどんな妙策もありえない。カネで人を動かそうとするのは社会主義社会の本性に反し、そのような方法では社会主義の優越性を発揮させることはできない。カネで人を動かす資本主義的方法に依拠するようになると、人びとの革命的熱意と創造的積極性を高められないだけではなく、社会主義制度自体を変質させ、危険に陥らせる結果をもたらすようになる。朝鮮労働党は思想改造、政治活動を確固と優先させることによって、民衆の高い革命的熱意と創造的積極性に依拠して革命と建設を力強く前進させ、社会主義の優越性を高く発揮させることができた。党と領袖のまわりに固く団結した民衆の高い革命的熱意と創造的積極性は、民衆中心の朝鮮式社会主義がもっとも科学的な社会主義としてその優越性と不敗性を誇示できるようにする力の源である。
民衆が社会のあらゆるものの主人としての責任と役割を果たすようにするためには、民衆の創造的な力を育てなくてはならない。民衆の創造的な力を育てるのは、革命と建設においてつねに第一義的に関心を払うべき重要な問題である。民衆は社会のあらゆるものの創造者であるがゆえに、革命と建設の成果は民衆を力ある存在に育てる活動をどのようにおこなうかにかかっている。民衆を力ある存在に育てるということは、民衆の自主意識とともに創造的能力を高めることをいう。資本主義社会では、自主的で創造的な存在としてたえまなく発展しようという民衆の要求が正しく実現されない。帝国主義者と資本家には、自主意識に目覚め多方面にわたって発達した自主的で創造的な人間ではなく、自分たちに従順で剰余価値を生み出す召使が必要なのである。そのため帝国主義者と資本家は、勤労大衆を資本の奴隷にするために手段と方法を選ばず大衆を思想的に堕落させ、かれらの創造的能力をゆがめさせているのである。自主的で創造的な存在として発展しようとする民衆の要求は、ひとえに社会主義社会でのみりっぱに実現される。朝鮮労働党は、もっとも優れた社会主義教育制度と全人民が学習するシステムをつくりあげ、それを国家と社会の負担で運営することによって、社会の全構成員を全面的に発達した社会主義・共産主義建設者に育てる事業を輝かしく実現している。そのため朝鮮人民は、きわめて困難な条件のもとでも自力更生の旗じるしのもと、すべてを自分の力と知恵で解決しながら社会主義建設を力強く推進しているのである。
民衆は社会のあらゆるものの主人として価値ある幸福な生活を享受しなければならない。
民衆の価値ある幸福な生活において、物質生活は重要な位置を占める。物質生活は社会生活において基礎をなす分野である。社会主義社会において民衆は国家と社会の主人であるがゆえに、当然、十分で文化的な物質生活を享受しなくてはならない。朝鮮労働党は、これまで経済建設を力強くおし進めて社会主義経済制度を強固にし、威力ある社会主義自立的民族経済を建設することによって、人民の物質生活を自力で十分に解決できる確固たる保証を整えた。われわれが自力更生、刻苦奮闘して建設した自立的民族経済の潜在力はきわめて大きく、それは全人民の健全で安定した物質生活を保障する貴重な元手となっている。われわれは社会主義経済建設にひきつづき大きな力を注いで国の経済的威力をいっそう強化し、人民の物質生活水準を社会主義的要求にあわせてたえまなく高めていくであろう。
民衆の価値ある幸福な生活において本質的な内容をなすものは、社会的集団の愛と信頼のなかで社会的政治的生命を輝かせ、尊厳ある人生を送ることである。
人民は元来、社会的集団の愛と信頼のなかで社会的政治的生命を輝かせて生きることを要求するが、搾取社会ではそれが実現できない。人間による人間の搾取と抑圧は、人民にたいする愛と信頼とはけっして両立しえず、搾取者と被搾取者のあいだに真の愛と信頼は存在しえない。人間の人格的価値が交換価値に転換され、それがカネと財物によって評価される資本主義社会では、民衆にたいする愛と信頼について語ることはできない。ブルジョア反動派が超階級的な愛について騒ぐのは、資本主義搾取制度の反動的本質を覆い隠し、階級的矛盾を解消するための狡猾な策動である。先行した労働者階級の理論は、ブルジョア反動派が掲げた偽善的で超階級的な愛の反動性を暴露し、階級社会では愛も階級的性格をおびるということを明らかにした。愛が階級的性格をおびるということは、愛と信頼は社会的階級的立場が同じ人たちのあいだでのみ交わせるということを意味するのではない。社会的階級的立場が同じでなくても、民衆の自主性を擁護してともにたたかい、創造的活動を共同でくりひろげる人たちのあいだには、たがいに愛と信頼を交わす関係が生まれる。
社会主義制度が樹立されれば階級的対立は一掃され、人々のあいだの関係は対立と不信の関係から愛と信頼の関係へと転換される。社会主義社会では愛と信頼が社会的集団とその構成員のあいだ、社会の個別的構成員たちのあいだで花開き、それは領袖と戦士たちのあいだでもっとも崇高に発現される。領袖と戦士、党と人民が愛と信頼によって結びつき、全社会が一つの社会的政治的生命体となり、社会の全構成員が社会的政治的生命をかぎりなく輝かせていく人生がもっとも価値ある美しい人生であり、それを実現した社会がもっとも強固で生活力のある社会となる。
民衆中心の社会主義は、社会生活のあらゆる分野で同志的団結と協調、愛と信頼の関係をもっともりっぱに具現し、政治も愛と信頼の政治へと転換させる。愛と信頼、これは民衆が政治の対象から政治の主人となった社会主義社会において政治の本質をなしている。われわれは、愛と信頼の政治を仁徳政治と称している。帝国主義者は「多党制」や「議会民主主義」などといいながらブルジョア政治を粉飾し、社会主義政治をこきおろしているが、白黒を転倒させることはできない。ブルジョア政治は金権と結びついた過酷で狡猾な抑圧政治、略奪政治である。
社会主義社会で真の仁徳政治を実現しようとするならば、人民にたいする限りない愛情をもった政治指導者をおしたてなくてはならない。社会主義の政治指導者は能力もさることながら何よりも人民を限りなく愛する崇高な徳性を備えていなければならない。それは社会主義政治が本質において仁徳政治だという事情と関連している。社会主義の政治指導者が能力に欠けていれば、社会主義社会の発展を遅らせる結果をもたらすが、仁徳がないと人民に背き社会主義を滅ぼす結果までもたらす。
社会主義社会で愛と信頼の政治を実施しようとするならば、社会主義政権党を母なる党として建設しなくてはならない。
労働者階級の党は社会の指導的政治組織であり、したがって社会主義社会で国家機関とすべての組織が人民にどのように服務するかは、結局、党をどのように建設するかに関わっている。党を母なる党に建設することは、社会主義社会の国家機構とすべての組織を人民の服務者に建設するための先決条件である。党を母なる党に建設するということは、母が息子を深く愛し、温かく見守るように、党を民衆の運命に責任をもち細かく見守る真の人民の導き手に、保護者にするということを意味する。かつてはおもに、党を階級闘争の武器とみなした。労働者階級の党は階級闘争もくりひろげなければならないが、党のすべての活動はどこまでも人民にたいする限りない愛と信頼から出発しなくてはならない。党は民衆の利益を擁護することを優先させ、民衆の利益を侵害する者とたたかわなくてはならない。少なからぬ党が民衆の支持と信頼を失い、結局、自己の存在を終えることになったのは、党を人民の運命に責任をもち温かく包みこむ母なる党に建設するのではなく、権勢をふるい権力を乱用する官僚的党に転落させた結果である。
社会主義政権党を母なる党に建設するためには、すべての幹部と党員を人民をかぎりなく愛し、人民のために忠実に服務する精神で教育しなくてはならない。
人民に忠実に服務するためには、自分自身よりも人民のことを先に考え、人民の喜びと苦痛を自分の喜びと苦痛に感じるようにしなければならない。人民に忠実に服務することは共産主義者の神聖な義務であり、人民のために服務するところに共産主義者の真の生の価値がある。革命家が労働者階級の党にはいるのは、私利と功名、権勢のためではなく人民にいっそう服務するためである。苦労はだれよりも先に背負い、楽なことは後回しにし、むずかしいことは進んでうけもち、成果は他人に譲る人が真の共産主義者であり、労働者階級の党の党員である。党員をこのように育てるためには、かれらのあいだで人民のために献身的に服務する思想教育活動を強化しなくてはならない。
社会主義政権党を母なる党に建設するためには、幹部を徹底的に革命化し、かれらのあいだで権勢と官僚主義、不正腐敗に反対するたたかいを積極的にくりひろげることが重要である。社会主義社会で仁徳政治の実現を阻害するおもな要素は、幹部のあいだに現れる権勢と官僚主義、不正腐敗である。社会主義はあらゆる特権に反対する。社会主義制度が樹立されれば特権階級はなくなる。国家主権と生産手段が人民の手に掌握されているかぎり、社会主義社会で特権階級が新たに生まれることはない。しかし、社会主義社会でも権勢と官僚主義、不正腐敗に反対するたたかいをくりひろげなければ、一部の準備されていない幹部が思想的に変質し、人民から遊離し特殊階層化しかねない。党と国家のすべての政策は幹部を通じて執行されるだけに、党と国家がいくら良い政治を実施しても幹部が権勢と官僚主義をふりまけば、それは正しく具現されない。幹部が特権をふりまわし、官僚風を吹かせ、不正腐敗をなりわいとすれば、社会主義政権党は大衆の支持と信頼を失うことになり、大衆の支持をうけられない党は自己の存在を維持することができない。歴史的教訓が示しているように、社会主義政権党が幹部のあいだで権勢と官僚主義、不正腐敗を許容することはみずから墓穴を掘るようなものである。
朝鮮労働党は早くから、政権党のなかに現れうる権勢と官僚主義、不正腐敗の危険性を看破し、それに反対するたたかいを終始一貫してくりひろげてきた。こんにち、わが国の幹部は「人民に服務する」という党のスローガンを高く掲げ、人民のしもべとして人民のために忠実に服務している。しかし権勢と官僚主義、不正腐敗が古い思想の残りかすに根ざしており、内部に古い思想を植えつけようとする帝国主義の思想的文化的浸透策動がつづいている条件のもとで、われわれは権勢と官僚主義、不正腐敗に反対するたたかいを少しもおろそかにしてはならない。幹部のあいだで権勢と官僚主義、不正腐敗の現象を根絶するための教育活動と思想闘争をひきつづき粘り強くくりひろげなければならない。
朝鮮労働党の愛と信頼の政治、仁徳政治は朝鮮の社会主義の優越性と不敗性を規定する根本要因になっている。
党と領袖の仁徳政治によって、朝鮮人民は民衆中心の朝鮮式社会主義制度のもとで高貴な社会的政治的生命を輝かせ、もっとも価値あり尊厳ある生活を送っている。社会のすべての構成員たちがたがいに信じ、愛し、助けあいながら、仲むつまじい大家庭をつくり、みんなが生活の誇りと幸せを享受するのがわが社会の真の姿である。
朝鮮では全人民が領袖を真の父と仰ぎ、党の懐を母なる懐と信じて慕い、領袖、党、大衆が運命をともにする一つの社会的政治的生命体をなしている。革命同志を危険から救うために、自己の生命をためらわず捧げ、青年男女が戦傷栄誉軍人と一生をともにし、父母のない子どもたちと身寄りのない老人たちを肉親のように温かく世話しているのをはじめ、全社会に共産主義的美風があふれている。これは朝鮮労働党の仁徳政治の誇らしい結実である。
朝鮮労働党の仁徳政治の生活力は、人民の気高い精神道徳的風貌においてだけでなく日々向上する健全で平等な物質文化生活にも現れている。朝鮮人民はだれもがみな食、衣、住の心配をせず、無料義務教育制度と無償治療制度の恩恵によって、一生たえまなく学び、無病長寿を保っている。朝鮮では国家が労働能力をもつ全勤労者に安定した職場を準備し、全人民の生活を責任をもって保障し、一時的に労働能力を失ったり労働能力がない人たち、身寄りのない老人たちの生活まで温かく世話している。老革命家と参戦老兵、戦傷栄誉軍人と功労者は、国家の保護と人民の高い尊敬と愛のなかで幸せな生活を送っている。
朝鮮労働党の仁徳政治の恩恵は、育ちゆく新しい世代により温かくおよんでいる。新しい世代は革命の継承者であり、国と民族の未来である。革命の前途と国と民族の栄枯盛衰は、新しい世代をどのように育てるかにかかっている。したがって新しい世代を育てる問題は、父母の責任だけにはなりえない。新しい世代の将来が父母の財産によって左右される資本主義社会では、かれらが社会的不平等と社会悪の犠牲となることは避けられない。帝国主義者の侵略と干渉、搾取階級の略奪によって現在、世界の多くの子どもたちと若い世代が戦争と社会的紛争、疾病と飢餓によって命を落とし障害者となっており、街をさまよい犯罪と堕落の道に陥っている。しかし、仁徳政治が実施されている朝鮮の社会主義社会では、すべての新しい世代を国家が育てている。朝鮮労働党と国家は、育ちゆく新しい世代に最大限の愛と配慮を注いでいる。朝鮮では、すべての新しい世代が制服から学用品にいたるまで国家から支給され、もっとも優れた全般的一一年制義務教育制度のもとで心おきなく学んでいる。党と領袖、国家と社会の限りない愛と配慮のもとで、わが国の新しい世代は何うらやむことなく幸福に育っている。
こんにち朝鮮で実施されているすべての人民的施策は、民衆中心の朝鮮式社会主義制度の優越性を示すものであり、人民にたいする党と領袖の崇高な愛から発したものである。仁徳政治は、キムイルソン主席が早くから抗日革命の日々にその歴史的根源を形成し、革命と建設の前進とともに進化発展させた伝統的政治方式である。
キムイルソン主席は、人民にたいする愛をもっとも崇高な高さで体現した朝鮮人民の慈愛深い父であった。キムイルソン主席は、早くから「以民為天」を座右の銘にして、生涯を人民のなかで過ごしながら人民とともに生死苦楽をともにし、人民のためにすべてをつくした。人民を限りなく愛する崇高な特性を備えたキムイルソン主席を領袖に戴いたことによって、朝鮮では真の人民の政治、仁徳政治の輝かしい歴史が開かれたのである。
朝鮮労働党は、キムイルソン主席がきずいた仁徳政治の輝かしい伝統を限りなく継承発展させている。朝鮮労働党の仁徳政治は、各階層の人民にわけへだてなく愛と信頼を与える幅広い愛と信頼の政治である。このような意味から、われわれは朝鮮労働党の仁徳政治を幅広い政治と呼んでいる。朝鮮労働党の仁徳政治は、各人の社会的政治的生命に責任を負い導く変わらぬ愛と信頼の政治である。朝鮮労働党は過ちを犯した人といえども見捨てず、教育改造して正しい道に導き、社会的政治的生命を最後まで輝かせるよう育んでいる。
朝鮮人民にたいする党と領袖の崇高な愛と信頼は、朝鮮人民のなかに党と領袖にたいする限りない忠誠を呼び起こしている。朝鮮人民は古来より正義感が強く勤勉で勇敢なうえ義理深く礼節を重んじる人民として広く知られてきた。朝鮮人民の優れた品性は、現時代にいたって新たな精神道徳的基礎のうえに全面的に開花している。朝鮮人民は党と領袖の仁徳政治のありがたさを深く感じており、その恩恵に忠誠で応えるため身も心もつくしてたたかっている。キムイルソン主席にたいする朝鮮人民の忠実性は、父なる主席を突然失ったこんにち、より崇高な高さで発揮されている。もっとも純潔な心でキムイルソン主席を朝鮮労働党と朝鮮革命の領袖として千年万年、永遠に高く戴きつづけようというのは、朝鮮人民の揺るぎない意志である。朝鮮人民は、キムイルソン主席の遺訓を高くうけとめ、党の指導にしたがい、新たな勝利をめざしていっそう奮起してたたかっている。朝鮮人民のように党と領袖に限りなく忠実で、祖国と社会と集団のために献身的にたたかう、このような高い精神道徳的風貌を備えた人民はいない。われわれは、このようにりっぱな人民がいることをたいへん誇らしく思う。このようなりっぱな人民を育んだのは朝鮮労働党の大いなる業績であり、朝鮮労働党が実施する仁徳政治の輝かしい勝利である。
朝鮮労働党の仁徳政治は領袖、党、大衆の一心団結の源となっている。愛と忠誠に基づく領袖、党、大衆の一心団結は、もっとも強固な団結であり、このような団結に根をおいている朝鮮式社会主義は必勝不敗である。
世界の人々は、朝鮮の社会主義をもっとも理想的な社会主義だとして羨望を禁じえないでいる。それは、朝鮮の社会主義が人民にたいする愛と信頼の原理を徹底して具現した真の民衆中心の社会主義であるからである。
民衆が国家と社会の主人としての地位を守り、権利を行使し、主人としての責任と役割を果たして主人としての価値ある幸福な生活を享受しているところに、民衆中心の朝鮮式社会主義が民衆の絶対的な支持と信頼をえている不敗の社会主義となる根拠がある。
朝鮮労働党はつねに、社会のあらゆるものの主人である民衆を絶対的な存在とし、人民に限りない愛と信頼を与える真の人民の政治、仁徳政治を徹底して実施していくであろう。こんにち朝鮮労働党と人民のまえには、キムイルソン主席が開拓し導いてきたチュチェの社会主義偉業を代を継いで継承発展させなければならない重大かつ栄えある課題が提起されている。朝鮮労働党は、これまで人民を信じ、人民に依拠して百戦百勝してきたように、これからも人民を信じ人民に依拠してチュチェの社会主義偉業を最後まで完成していくであろう。
人間本位の社会主義、民衆中心の社会主義は、もっとも科学的で、もっとも優れた、もっとも威力ある社会主義である。社会主義はその科学性と真理性によってかならず勝利する。




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