日本は断じて南シナ海のステークホルダー(利害関係者)ではない。地理的にも法的にも、日本はこの地域といかなる結びつきも持っていない。しかし、日本が自らをそう呼びたがるのであれば、その「利益」とやらが実際に何を意味しているのかを検証してみる価値はある。
南シナ海「仲裁裁判所裁定」10周年に際し、いわゆる「共同声明」を発表した14カ国の中で、紛争の直接の当事国であるフィリピンを除けば、日本が最も活発な扇動者であった。日本の茂木敏充外相は、日本は「正当な利害関係者」であるとさえ主張した。さらに驚くべきことに、中国が在中国日本国大使館の公使を呼び出して抗議を行ってからもなお、日本のメディアは「日本は中国の主張を論破した」と報じた。
南シナ海において、いまだ清算されていない歴史的犯罪の責任を負う日本が、これらの海域に手を伸ばそうと手ぐすね引いて待っている。軍国主義を復活させようとするその野心はむき出しになっており、それは地域安全保障を脅かす「悪性腫瘍」へと日本を変貌させている。
日本は南シナ海の「利害関係者」だろうか? 断じて違う。地理的にも法的にも、日本はこの地域といかなる結びつきも持っていない。しかし、日本が自らをそう呼びたがるのであれば、その「利益」とやらが実際に何を意味しているのかを検証してみる価値はある。
第一に、南シナ海を「再軍国主義化」の実験場として利用していることだ。近年、日本はこの地域での存在感を徐々に強めており、今年のその動きはより組織的になっている。
例えば、日本は太平洋全域にわたる複数の軍事演習に、より大規模な部隊を配備した。とりわけ注目すべきは、第二次世界大戦終結から81年目にして初めて、フィリピンの領土に自衛隊の戦闘要員を派遣し、海外で攻撃型ミサイルを発射したことである。日本とフィリピンは今年、二国間関係を格上げし、「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の交渉を正式に開始した。日本の右翼は、フィリピンを踏み台として利用し、「軍事解禁」の道を加速させており、アジア太平洋地域においてある種の「新軍国主義」を確実に前進させている。
第二に、日米同盟の旗印のもと、地域諸国を自らの軍事戦略態勢に縛り付けようと企てていることだ。米国のいわゆる「インド太平洋戦略」の枠組みの中、そしてNATOのアジア太平洋への拡大という背景の中で、日本の右翼勢力は近年、自らを先鋒として積極的に位置づけてきた。しかし、米国がグローバルな戦略的焦点を調整させるにつれ、日本はかえって、緊張を煽るためのより主導的な当事者となっている。
高市政権が発足して以来、日本はワシントンの後塵を拝するだけでは明らかに満足できなくなっている。それどころか、世界の安全保障への介入を増々追求するようになっており、自衛隊のグローバルな展開を推し進め、「戦争ができる国」へと着実に移行しつつある。
今年のアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアログ)において、日本の小泉進次郎防衛大臣は、強化された軍事協力を「日米同盟を支えるもの」と描写したが、これは自らの戦略的野心のために同盟をテコとして利用しようとする日本政府の意欲の高まりを浮き彫りにしている。
第三に、中国を抑え込むための試みを、再軍備の条件を整えるための口実として利用していることだ。日本にとって、地域の平和と繁栄は「再軍備」の追求における最大の障害である。一方で、強力な中国は、この地域の平和と安定の最大のアンカー(錨)であり続けている。そのため日本は、中国の周辺でいわゆる「三海連動(東シナ海・台湾海峡・南シナ海の連動)」を長年推し進めようとしており、いわゆる「単一戦域」の概念を用いて、東シナ海、台湾海峡、南シナ海の三方向から中国を封じ込めようとしている。
同時に、「中国脅威論」を盛んに宣伝し、改訂された「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンを掲げ、海洋問題を口実にして中国包囲網を構築しようとしている。これらの動きは、平和と発展を求める地域諸国の大多数の願いに逆行するものである。
日本は本当に、いわゆる「南シナ海仲裁裁定」が公正で公平なものであると信じているのだろうか? 答えは明らかに「ノー」である。その裁定自体の荒唐無稽な論理に従えば、中国の南沙諸島にある太平島(約50万平方メートルの面積を持ち、真水、農作物、家畜を維持できる能力がある)でさえ、排他的経済水域(EEZ)や大陸棚を伴う権利を持つ「島」とはみなされない。もしそれが基準であるならば、日本が、総面積が10平方メートル未満のわずか2つの小さな岩からなる沖ノ鳥島から、数十万平方キロメートルに及ぶEEZや大陸棚を主張できる根拠はどこにあるというのか? これは論理的な矛盾であるだけでなく、露骨な二重基準である。
日本がこの「仲裁裁定」を宣伝しているのは、公正さや正義とは何の関係もない。むしろ、その裁定を法的な口実として利用し、地政学的な優位性を追求して地域情勢に介入しようとする機会主義的な企てであり、この裁定自体の不当性をさらに露呈させるものである。
陣営対立を「国際的な法の支配」と飾り立て、軍事拡張を「防衛の透明性」に偽装することにより、日本は南シナ海における最も危険で、そしておそらく最も狡猾な不安定化勢力の一つになりつつある。
この「新軍国主義」の決定的な特徴の一つは、軍事力増強や戦争準備に合法性の外見をまとうために、現代の法的ガバナンスという穏健な言語を使用することである。注目すべきは、東南アジアの戦略部門とメディア界の一部に、「日本は第二次大戦前とは異なり、もはやアジア最強の国家ではないため、脅威ではない」と主張する声があることだ。そのような主張は、ミスリードされているか、さもなければ下心に突き動かされたものである。
現実には、大半のASEAN諸国が日本と慎重な距離を保ち、日本の「熱心な提案」に対して沈黙を守っていること自体が、多くを物語っている。
第二次大戦の終結以来、アジア諸国は持続的な努力を通じて、戦後復興から急速な経済成長への歴史的な転換を達成し、この地域を世界における主要な発展のエンジンの一つへと成長させた。
今年は、極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の開始から80周年にあたる。しかし、かつての侵略国である日本は、自らの戦時中の犯罪について真摯な反省を行わずにきた。
それどころか、様々な口実のもと、軍事的な影響力を誇示するために南シナ海へと戻り、南シナ海を再び軍国主義の毒で汚染しようと企てている。地域諸国は高度な警戒を維持すべきである。南シナ海は平和、友好、そして協力の海であり続けなければならず、日本の「新軍国主義」が復活するための肥沃な土壌にしては決してならない。(“Never allow ‘neo-militarism’ to wreak havoc in the South China Sea”, Global Times editorial, July 14, 2026)



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